時の流れにモノ申す
1月も終わる。早いなあ。ビックリするわ。
ミヒャエル・エンデの名作「モモ」において、『時間は不可逆』だと説明されているのは有名な話。これについては、本で説明されるまでもなく、これまでの人生経験で身を持って知っている。明日が来れば、オレは確実に30歳へ近づいてしまうが、遠ざかる事は有り得ない。
ただ、時間の経過が一定というのはかなり怪しい。これについては、経験上、今ひとつ納得できない部分がある。例を挙げたら、それこそ枚挙に暇がない。
好きな人と過ごす15分と、嫌いな人と過ごす15分。
サッカー観戦の1試合90分と、大学・予備校の講義90分。
平日の正午までの時間と、休日の正午までの時間。
これらの時間の長さは全然違うように感じる。だが、オレもそんなにバカじゃない。精神的な何かが作用している事は分かる。それにしても、差異が大きい様に思う。長短どちらにも果てしなく大きく振れる。これを考慮に入れると、『時間は平等』という論が通らなくなってしまうのではないだろうか。
小説などで、『その1秒が永遠の時の様に感じられた』という表現があるが、これは精神的作用を加味すれば、たったの1秒の時が、人生を全うする時間である80年を超越している事になる訳だ。この人の体験的寿命は、永遠+80年となる。もはや不老不死に肉薄してるくらいの時を味わっているね。何せ「永遠」ですから。
などと理屈にならない暴論を唱えているうちに、もう「世界の車窓からの時間」に突入してやがる。早い。帰宅してからの時間の進みは、上越新幹線のように早い。
これから風呂に入って、『バツラジ』でも聴きながら夕刊フジの読み残した部分でも読もう。
明日は資金移動のために銀行回り。外出は良い気分転換になるので嬉しうす。
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